2011年12月10日

英語放送

いつも見ている英語のニュース番組が急に写らなくなった。24時間英語のニュースを流しているチャンネルなのだが、ニュースはやらずに海外の観光地の紹介、世界の著名人の紹介と同じ内容ばかりを繰り返している。2日程はいつニュースが始まるかとチャンネルを付けっ放しにしていたが、いつまで経ってもニュースが流れない。
「最近、ニュース番組やってないですよね。」事務所で回りに聞いても、熱心に見ていないのか、「そうかな。」と気のない返事だったが、やっと3日目に、皆がやっていないと認識する。

ケーブルテレビのチャンネルは60局程度あるが、英語の国内ニュースは1局、海外ニュースもBCC(英国放送)だけで、現地語がわからない外国人の貴重な情報源である。まあ、英語も80%くらいしかわからない(本人が80%と言っても、実際はその8掛けくらいか)が、映像だけで連想する現地語チャンネルよりはよほどましというものだ。
ところが、ほぼ同じ時期にBBCがケーブルテレビ協会から放映禁止になり、これまた見られなくなった。協会は「反パキスタン的な番組を放映するチャンネルを禁止する。」と発表した。11月下旬にアフガン国境付近で、米国軍がパキスタン軍を(誤って)攻撃する事件がおきており、西側に対して報復措置を取っている最中である。
パキスタンは真面目にアフガン・タリバンに対応する気がないという番組を放映したことが直接の引き金になったようだ。
BBC.jpg「彼らは表向きはアメリカの同盟国だと言うが、裏ではアフガン・タリバンを訓練し、武器を与えている。」番組の中で、アメリカの情報関係者はいう。
今まで、当局が報道に関して表立って制限することはほとんど無かったようだが、一方で過激派やイスラム原理主義者の方がうるさい。今回は、政府の気持ちを慮って、協会が自主規制をしたというところか。
ネットで掲載されている記事に読者のコメントが記載されているが、概して規制に批判的である。「いっそのこと、トヨタやソニーも禁止すれば本当に純粋な国になる。そうして、ロバや馬車の中世のような生活に戻るんだ。」

この話を聞いて、民放の英語放送も同じ理由で当局から止められたのかと思ったら、こちらはただ広告費が十分集まらないので、経営が行き詰って中止したようだ。
さて、英語の放送が見られないようになって、現地語のニュースを見ている。ウルドゥー、パンジャビー、シンディー、パシュトゥーンなどの各言語の放送があるが、何語なのかはわからない。言葉はわからないが、英語放送よりも生活に身近な内容をやっているようで、興味をそそられる部分もある。パキスタン人は大概クリケットか悪い警官が出てくるドラマなどを見ている。これが高じて、現地語が覚えられればいいのであるが。

なんとかモンスター.jpg一方で「セサミストリート」のパキスタン版が放映されるというニュースがある。セサミは現在海外20カ国で放映されているが、パキスタンでは「Sim Sim Hamara」という番組名らしい。米国とパキスタンの緊張が高まっている中で、米国の援助機関であるUSAIDが4年間のプロジェクトとして8億円を拠出して実現するそうだ。
米国政府は子どもたちへの識字や数字の教育に役立つと共に我慢や忍耐、相互に尊敬することなど道徳的な効果も期待しているようだ。
豚のしっぽをつけた、クリケット好きな女の子のキャラクターが登場するらしいが、製作会社は家庭に閉じこもりがちなパキスタンの女の子が、影響を受けて積極的になってくれればと考えているようだ。イスラム国で豚のしっぽをつけたキャラクターというのはどうなのであろう。

番組広告.jpgアメリカ側も色々考えているなと感心させられる。いつも双方非難し合いのような間柄だが、児童番組で人気を取ったほうが評価が上がるというものだ。

子どもたちもセサミストリート世代ではなく、まともに見た記憶はないが、大きな黄色の鳥の化け物や、おおざっぱに作られた赤やオレンジ色の人形が出てくる番組と認識しており、あれが教育番組なのかどうかも定かでない。ただ、あの不恰好な人形が出てくる番組に人気があるということが、極めてアメリカらしいと思う。パキスタン人の方が色や服装のセンスはもっといいだろうから、あの手のキャラクターが流行るかどうかは疑問である。
posted by コロちゃん at 19:28 | Comment(0) | イスラムでの生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月08日

Autumn Leaves

10月からパキスタンは秋の季節である。日中はいまだ25度くらいあるが、夜は18度くらいまで下がり、暖かいお風呂が恋しい季節になった。イスラマバードでの秋の景色を追ってみた。

マリーゴールド.jpgイスラマバードには秋から春にかけてはマリーゴールドがその派手な色で人々の目を引く。もっぱら日本車が行きかう交差点には、日本のものの3倍もありそうなオレンジ、黄色の大きな花が所狭しと植えられており、緑地の緑とあいまって街に華やかな彩りを加えている。
首都圏開発庁(CDA)が市内の整備を行っているが、朝早くから掃除をしているし、花もよく植えられており、よく予算があるなと感じていた。先日、新聞はCDAの今年度(予算年度は7月から翌年6月)の予算について批判していた。
「CDAは今年度の220億ルピーの予算のうち、9億ルピー以外は支出してしまった。」
「他の役所と違って、ちゃんと給与や電気代を払っているからだ。」CDAは弁明している。

F-7地区には名前はわからないが紅葉する街路樹が植えられている。もみじほどではないものの、エンジ色に色を変えており、他の地域では見られない季節の移り変わりを感じさせてくれる。玉ねぎ型をした葉が秋の陽射しを受けて、通行人や運転手の目を和ませてくれる。
後背地のマルガラ山脈も含めてイスラマバード市内には樹木の種類は多いのに、近くで紅葉する木を捜してたが、綺麗に紅葉するのはこの木だけである。まあ、パキスタンに紅葉なんていう風情はあまり似合わないのかもしれない。
紅葉1.jpg

秋は結婚式のシーズンでもある。先日も近くのクリスチャン地区で、野外に竹を支柱とした布の大型の囲いが作られており、そこで結婚式が行われていた。通りかかったときには、挙式後の食事の振る舞いのタイミングだったらしく、大勢の人たちがブルヤニ(炊き込みごはん)と大きな鶏肉が入ったチキンカレーをほおばっていた。いっしょにどうだと誘われまいかと近づいたが、誰もたべるのにいそがしく、こちらのことに気が付いてくれなかった。
パキスタンにおいても結婚式の出費は大変な負担のようだ。
20代半ばのテニスのコーチがもうすぐ結婚すると言う。父親と結婚式の相談をしたが、お客を1,500人想定しており、20万ルピーくらいの用意が必要だと嘆いていた。彼は月に1.5〜2万ルピーくらいの収入だろうから約10か月分の給与が当てられるということになる。ひとり100ルピーちょっとの予算とはいかにも安いが、もっぱらカレー代なのだろう。
Wedding.jpg

毛布じい.jpg寒くなっても、こちらの多くの人は薄色のシャルワール・カミーズを着ており、寒くなったからと言ってグレーやこげ茶の暖色系を着るわけではない。基本的には夏冬、服の色は同じようである。生地自体も混毛のものなどが売られているが、回りの人たちは夏とおなじシャルカミを着て、上にセーターなどを羽織っているようである。
シャルカミの上に毛布のような布を上半身に巻きつけている男性も多い。大きさは2m×1mもあるもので、腕を仕舞い込む、頭に被ると使い勝手が良さそうだ。しかもシャルカミとマッチしており、なまじっか西洋かぶれしてなくて、パキスタンの風土にも合っている。
この布を身体に巻いていて如何にも寒そうにしているのに、足元を見るとサンダルだったりする。靴下を履けばもっと暖かいのに、と忠告するのはやぼだろうか。

巻き集め.jpg薪を集める女性や子どもの姿を多く見かけるようになる。イスラマバード周辺でも貧しい人たちはおり、ガス代が負担できない、またはガスが十分供給されずに、薪集めをしている。主に女性か子どもの役割のようで、抱えられるだけの薪を頭の上に乗せて家路に向かう女性を見かける。
薪は主に煮炊き用であろうが、寒くなってもガス臭いガスストーブを使わずに、毛布を腰に巻いているこちらよりも暖かいのかもしれない。

こちらがパキスタンに赴任する前のことであるが、パキスタンとマレーシアに長期滞在したことがある知人が、両国を比べたときにパキスタンの方がいいと言う。
「パキスタンは四季があるからいい。マレーシアは暑いばかりだ。」
当時はパキスタンに赴任するこちらを気遣っての発言だと思ったが、今では彼のいうとおりパキスタンの夏以外の季節がとても気に入っている。
posted by コロちゃん at 02:35 | Comment(0) | イスラムでの生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月05日

散髪屋

Hはマーケットで扉が開け放たれたままになっている、英語の表示がない理髪店に足を踏み入れた。中はイスが二つあるだけで、色黒の5〜6歳の男の子がひとりで髪を刈られている最中だった。
そこの主人らしい男は、Hが店に入ると笑顔で迎えると同時に、その子どもを追い払うように隣のイスに移らせた。イスの座る部分を手で叩くとほこりが舞い、そこに座れと身振りで示すのだった。
薄汚れたカウンターの上にははさみと櫛、それと霧吹き、ブラシが置いてある。他には、横の棚にクリームらしいものがあるだけである。店内のテレビからはウルドゥ語のニュースが流れている。

「短くするのか。」との主人の問いに対してHはただ「そうだ。」と軽く返事し、細かな指示はしなかった。見ると隣に写った男の子は、もう一人の男に髪を切られており、脇の髪を切るのに、嫌そうな顔をして顔を背けている。彼の散発は数分で済んでしまった。
主人は、後から入ってきた髭面の客と抱擁して挨拶し、その客と話しながらHの髪を切り始めた。

青空散髪.JPGHは散発は数ヶ月ぶりである。確か先々月、一時帰国する前に切った時からだから2ヶ月近くになるだろうか。最近、髪が伸びるのも遅い気がする。
一時帰国時に高校時代の友人夫妻と一年ぶりに再会し、昼食を共にした。その友人は髪の量が多いほうで、自分でも「白髪が多い」とは言っており、禿げる事はないだろうとHは考えていた。1年振りに再開し、イスに腰掛けたときに、ふいと上から見下ろすと、頭頂部の地肌が見えるほどになっていた。Hは友人はそのことを意識しているのだろうかと思いつつ、それには触れず、友人と別れた後、妻にそのことを話した。
「彼も転勤などで苦労しているのだろうか。頭頂部がかなり薄くなっているのがわかったかい。」
「あなたも気をつけてね。そうそう、赴任するときに持っていった発毛剤使っている。あれ効果があるというから、使ったほうがいいわよ。うちの弟もいいって言ってるわよ。」妻はその後も、メールでそのことを薦めるのだった。

赴任先に戻ってから、シャワーをした後にバスタブにへばりついている髪の毛の本数が気になるようになった。確か20本までは正常な抜け毛であるとなにかに書いてあったか。排水溝に抜け毛がからまり、お湯が排水しずらくなったような気もする。
洗髪後に鏡を見ると、前頭部の地肌がやたら透けて見えるではないか。
ショックであった。「もう、禿げじゃん。妻はこのことを言っていたのか。」

発毛剤.jpg赴任後に棚にしまい使っていなかった発毛促進剤を見つけ出し、せっせとつけ出した。つーっと液体が頭部に留まらずに前頭部に垂れてくる。伐採後の山といっしょで水を留める保水効果が弱くなっているのかと変な納得をした。

テレビでこの国の政治家を見ると、人々は髭が濃い上に、頭髪も黒々している。老年になっても髪は白くなることはありもすれ、日本人のようにわびしいバーコード頭を見ることはない。
人種によって、皮膚、髪の色が違うように、髪質、頭部が禿げる程度も異なるのだろう。人種と禿げ具合の関係を調べている学者はいるのだろうか、一度ネットで調べてみようかと下らぬことを考えもする。
海藻類は毛髪にいいという話はあるが、この国の人々はわかめ、こんぶなどを食べているわけではないし、髪の毛に悪いと言われるチリなどの刺激物を日々口にしている。日本人ほど綺麗好きで、毎日頭髪を洗う人種もいないだろう。一方、この国の人々は雨が少ないこともあり、水浴びだってままならいない人だって多いのである。
頭髪に関して言えば、後天的な環境よりも持って生まれた先天的遺伝が大きく作用しているということかと、特にもならぬ事を仕事よりも深く考えた。

主人は熱心におしゃべりをしながらも、てきぱきと側頭部、後頭部を刈っていく。
テレビからバングラデシュでの騒動のニュースが流れてくるのを見て、店主は
「バングラデシュはよくない国だ。その点、中国はいい国だ。」
「・・・、日本人だ。」というと、
「中国も、日本もいい国だ。」とまた、なにやらウルドゥ語で客と話し始める。

パキジイ2.jpgときたま、はさみのするどい切っ先が肌にあたり、ひやりとすることはあるが、小気味良く散髪は進んでいく。気になる前髪はいつも間にか、幾分短めに刈られていた。

「もう、終わりか。」とHが考えていると、主人は、手の平で頭部を左右にパタパタと叩き始めた。やがて、力強く指の腹でぐいぐり頭部をもむ。
「散発後のサービスか。」とHは考えていたが、それがいつまでも続く。以前、ネットでパキスタンの頭部マッサージというビデオがアップされていたのを見ることがあったが、それは散発屋が客の頭を1時間も左右に叩くものであった。
やがて、おでこを両手の平でぐいぐい上下されるのを、Hはコンタクトレンズがずれないように目に力を込める。頭部のマッサージが15分も続いたろうか、それから肩、腕まで揉みだした。首筋を後ろからぐいぐい、しごかれたときは、首が絞められるような力強さだった。
「パキスタンのマッサージだ。」と自慢げにいう店主。

「これはいくらになるのだろうか。散髪だけだったら100ルピーで足りるが、マッサージは全てサービスということは無いだろうな。」Hは先ほどから、いくら要求されるかが気になりだしていた。「まあ、200ルピーまでだったら黙って払おう。」

顔のリンパ・マッサージのようなことをした後、店主は棚から緑色の容器の大きなクリームを取り出し、次々とHの顔に塗りつける。Hが瞑っていた目をあけると、カウンターには4種類のクリームが並んでおり、店主は店にありったけのクリームを塗ったように見える。

「これはしみ取りだ。」と目の下、目の脇をこすり、
「これは膚を滑らかになる。」と小鼻に塗っていき、鏡を見ると、いつの間にかHの顔はクリームで真っ白になっていた。それを隣の客は奇妙な顔をして見ている。
「これは、300ルピーと言って来るかもしれない。まあ、白くなるくらいクリームも使ったし、仕方ないか。」と自分の中でそろばんをはじくHであった。

クリームが染みるまで待たされた後、店主は容器に入った水とスポンジを持ち出し、顔のクリームを拭きだした。クリームがほぼ拭われると、今度は霧吹き器でもう一度、Hの顔全面に霧をふきつける。
「これは何の意味があるんだ。」よくわからないまま、されるがままになっていると、店主は持ち出したトイレットペーパーを千切って、濡れた顔を拭ってくれる。

「どうだ、綺麗になっただろう。触ってみろ、すべすべしているだろう。」店主はHの鼻脇をこすり、誇らしげに自分でも触ってみろという。Hが触れると確かにすべすべしている。顔マッサージが効いたのかいくらかはりがあるようにも見える。

すべてを終え、エプロンに付いた髪の毛を外で叩いている店主にいくらだと聞くと
「800、・・・いや700ルピーでいい。マッサージ代を入れてだ。」
「・・・・、頼んだのは散髪だけだ。」Hは応答する。
「それならいくらなら、いいんだ。気の済む額を払ってくれ。」
しばし考えた後、Hは財布から50ルピー札4枚を引き出し店主に渡し、店主の顔も見ずに、そそくさと店を離れるのであった。幸いにも呼び止める声も、怒鳴り声も聞こえなかった。

Hはそのマッサージも、前髪が若々しい髪形も気にいった。また、ここに来て、最初に交渉して、300ルピーなら払ってもいいなと考えていた。

*注:創作であり、特定の個人・団体とはなんら関係はない。
posted by コロちゃん at 01:33 | Comment(0) | イスラムでの生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月02日

デジタルカメラ

一時帰国中のお楽しみはいくつかあったが、やはり妻と久しぶりの温泉旅行がもちろん一番であった。パキスタンで欠けているものとしては、温泉、日本料理、畳での生活、紅葉、これを皆満たしてくれるのが温泉旅行である。
10月下中であったので、温泉に加えて紅葉も楽しめればと思い山梨県の積翠寺温泉の宿をネットで予約した。「じゃらん」でポイントが高いところを捜していたら、一度利用したことがある旅館が「朝食がおいしい旅館全国第二位」というランクで入っており、そのときも清潔な旅館だった記憶があったので、そこにした。朝から鯛めしを出すというところである。

平日のせいか、中央高速は順調で、道路わきの山肌にはときおりいくらか黄色やエンジ色に色を変えた木々が見られる。空は薄い雲がかかっているが十分ドライブびよりである。2時間ほどで勝沼のインターチェンジに到着し、近くの農産物直売場を覗いてからメルシャン・ワイン工場を訪問する。
かなり古くからある工場のようで、工場前に出ている展示用のワイン樽も年季を帯びている。休日でも見学客はそんなに来そうもないな〜と思いつつ、働く人たちも数えるほどで少し侘しさを感じさせる。見学コースは醸造所、ワインのビン詰めと工程が並んでいるが、これまた稼動していない。ワイン工場のお楽しみの試飲コーナーでは製造している4種類のワインが自由に飲めるようになっており、妻は「甘口が多いね」と言っていた。
ワイン工場内.JPG
それから、ハイキングで有名な西沢渓谷を目指すと、その直前に広瀬ダムがあり、入り口の大きなもみじの木に陽光が当たり、みごとに紅い葉が輝いているのに目を取られ、駐車場に車を滑り込ませる。時期的にまだ麓までは紅葉は降りてきておらず、渓谷の奥上方まで歩けば見られるだろうが、妻には「今回はそんなに歩かないから」と伝えており、奥まで行かずに紅葉が見られるのであれば、ダム横でも十分である。
ダム周辺は公園になっており、大木では無いが、もみじやさくらなどが植えられ、散策をすることができる。ダムの向こう側の広葉樹の山もいくらか赤・黄色に染まっている。山の広葉樹を写真に撮ったり、何本か色づいたもみじの前で三脚を使い写真を撮った。
今回の三脚は、こちらがパキスタンに赴任する前に妻が、一人で写真を撮ることもあるだろうからと通販で買ってくれたものである。足は20cmほどで、関節が曲がり、物に絡み付けられるようになっている。ただ、僕のカメラは比較的重たいので、三脚のヘッドがその重さに耐えられず、傾いてしまう。そのカメラには使えないことからパキスタンには持っていかずにいたものを、妻の思いにも報いるためにも旅行に携行したものだ。
山もほんのり.JPG
「その三脚じゃ、うまく水平に写らないのよね〜。」とか話しながら、何枚か写真を撮る。コンクリの壁の上から小さい滝が流れ落ちており、その上がどうなっているのか、ちょっと気になったので、上に行く坂道を登っていく。そこには、直径50cmほどの円形の水の噴出し口があり、下に水が流れ出し、滝を作っていた。
その小さい丸池を跨ぐ直前に、三脚についているポッチを無意識に押した。そのとたん、三脚からカメラがするっと滑り落ちて、音も立てずに池の中に落っこちてしまう。2秒後、池からカメラをガバッと拾い上げ、ハンカチで拭き、スイッチを入れるが、反応なし。
さらにティッシュでバッテリーやメモリーが入るスペースを拭いたり、手に持ちマヨネーズの最後に残ったものを口まで振り出す要領で一生懸命カメラを振り、水を出すようにしてみたが、何度やってももはや答えてはくれなかった。

「前のも、和樹たちとキャンプに行ったときに川に落としたんだよね。」妻が傷つけまいとするような口調でいう。
「うん3〜4年前かな。」
「そうだっけ、彼が高校2年のときじゃなかったっけ。」なにげなく言うが、まだ2年じゃん、という意味合いも入っている。
「そうだね・・・。水に浸かったって言ったってほんの数秒なのにね。」
どこかが傷ついていたり、内臓が飛び出していればこちらも納得するのだが、見た目は以前と何ら変わらず、生前そのままである。色艶もなんら悪くない。少し気絶しているだけかもしれない。2〜3時間して水が乾けば、「オヤオヤ、いけない。つい居眠りしてしまいましたよ〜。」と目が覚めるかもしれないとも思った。
押したポッチは三脚からカメラを離すものだった。なにやらこの三脚には因縁ついているのかもしれない。
もみじ.jpg


以前は次男とその友達数人を連れて、夏のキャンプに行ったときに、子どもたちが水量がある川で遊んでいる最中、すぐ脇の岩の上で横になっていた。いい夏の日だなと思い、ゴツゴツした岩の上で姿勢を変えたときに横においていたカメラを腕で押して、川に落としてしまったのである。
まあ、そのときは、川の中からカメラを拾い出すのに数十秒はかかったので、納得のいく水死であった。
その後買ったのが、当時売り出したばかりの「きみまろ、10倍ズーム」というもので、当時まだ、子どもたちの運動会などを遠くから撮る機会があることから、10倍ズームを買ったのである。なぜ、きみまろ なのか理解できなかったが、当時はそれほど人気があったということか。少し、重かったが、写真好きなこちらは行事があるときは、いつも持ち歩いていた。
長男が親が買ってやった成人式用のスーツを親よりも格好よく着こなしていたときや、次男が事前には何も言わず体育祭でアリスの女王に扮したとき、長女が初めてチアダンス部の衣装を着て登場したが、ひっつめ髪で他の娘と見分けられなかったときも、そのカメラが活躍した。パキスタンに来てからもこちらの様子を撮るのに欠かせない相棒だった。

水に浸かったカメラを修理にもっていけば直るのだろうか、いや、もしかしたら蓋を開けて水を拭けば機嫌よく、なおるかもしれないという思いもあった。
旅館で「小さいドライバーありますか。」と精密機械用のドライバーを借りて、妻が入浴中にカメラの裏蓋を開けてみる。しかし、流石に精密機械だけあり、こちらには何がなにやらわからず、結局元通りには戻せずじまいで、そのまま座卓の上に放り出してしまう。

翌日、旅館でカメラ屋を聞くと、甲府中心部の大型電気店を教えてくれ、武田神社から寄ってみる。
「カメラは水に浸かったら直りますか。」と定員さんに聞くと
「濡れたらカメラはもうだめですね。」と教えられ、分解したことを後悔しなくてすんだと安心する。
思いの他、安い機種が揃っており、同じメーカの3倍ズームのものを購入する。

以前のカメラは、厚みがあり黒かったので、ドカチンのような存在感があったが、持ち運ぶのに少し邪魔だった。今回のは2cm程度で色もピンクがかったゴールドで、スーツを着たキャリアウーマン(今はそう言わない?)のようで、胸ポッケにスーっと収まってしまう。
またパキスタンのことを伝える良きパートナーになってくれればと思う。
posted by コロちゃん at 03:33 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月01日

NATOの空爆

11月27日にテレビで緊急ニュースが流れた。最近は、爆弾テロがかなり減ってきたので、緊急ニュースは久しぶりだなと思いつつ、見ていた。
前日の深夜にアフガニスタンに駐留しているNATO軍のヘリコプターが越境し、パキスタン北部の部族地域にいたパキスタン軍を攻撃し、24人の兵士が死亡したとのこと。
NATO軍は米軍が中心となり西側諸国から編成されている多国籍軍で、アフガニスタンでタリバンと戦っているので、通常はパキスタンを攻撃することは無い。
この国ではパキスタン・タリバン(アフガンのタリバンとは区別される)の爆弾テロで50人以上が死亡する事件が頻繁に起こっているので、「24人の被害者なら少ないほうだな。」
と思っていたら、パキスタン政府の反応は激しいものがあった。
兵士の葬儀.jpg
直ちに政府は、米国に対して原因の究明を求めると共に、パキスタンの陸路を通じてアフガニスタンにいるNATO軍への生活物資貨物の通行を止めてしまった。また、パキスタン国内で米軍が使用している空軍基地から15日以内に撤退するように要求した。

アフガニスタンでタリバンと戦うNATO軍に対して、必要な物資の約半分はパキスタンを通って供給されている。(アフガニスタンは海に接しておらず、物資は隣国を通じてしか入らない。)長引けば、兵士への生活に影響がでるかもしれない。(きっと、米軍はほぼアメリカの生活と同程度のものを供給しているのだろう。)
さらに、ドイツのボンで開催される予定のアフガン和平会合への出席を直前なのに、取りやめると発表した。アフガン和平のためには、タリバンとの太いパイプを持っているパキスタンの協力が欠かせないと認識されており、この影響も大きいと考えられる。
なにやら、少し大人げ無いような対応のような気もするが、国際的には支援されている。
無人爆撃機.jpg
今年の初め、米国人(CIAの諜報員との噂もあり)によるパキスタン人の殺害事件があったし、5月には米軍によるオサマ・ビン・ラディン襲撃事件もあり、今年になってから米・パキ関係は問題を多く抱えている。
もはや、両者とも相手に愛情はなく、分かれたいと思っているのに、もろもろの損得勘定を考えて分かれられない10年目の夫婦のようである。(例えが適切化かどうかはわからないが。)

米国はテロとの戦争・アフガン和平のためにパキスタンの協力は欠かせないと思いつつ、タリバンを裏で操っているのはパキスタンではないかと思っている。
パキスタンは、現在テロで被害を受けているのはパキスタンであり、また米国の無人爆撃機によって国民が被害を受けていると考えている。しかし、米国が持ってくる飴玉も欲しい。
NATO軍への物資.jpg
日本にいて、ニュースを見ていれば、米国寄りの考えをするだろうが、パキスタンから状況をみていると、パキスタン側の考えも十分理解できる。米国は世界の警察、民主主義の保護者のような振る舞いをしているが、ひとりよがりの事も多い。今まで米国が説明していたことが、うそっぽく思えてくる。まあ、どっちもどっちもである。
パキスタンは経済面や民主的か平等かどうかで言えば、世界でおしりから数えた方が早いが、いくつかの武器(核、アフガンへの影響力)を持って、米国と対等にやりあっており、大したものだと変な感心をする。アメリカが手玉に取られていることも多く、どこかの国と比べてもよほど政治・外交面において手練れだ。

今月末に米国で実施されたアンケート調査によると、米国人の55%がパキスタンを敵と考えていると報道されていたのを見て、数ヶ月前、パキスタンで実施されたアンケートでは、パキスタン人の7割が米国人を嫌いと答えていたのを思い出した。

ただ、米国人を好きではないだろうが、もっと嫌いなものもいるようだ。
「あの近く(北部の部族地域)の住民は米軍にもっとやれ(パキスタン軍を攻撃しろ)と言っているよ。」と軍嫌いのうちの運転手は言っていた。
posted by コロちゃん at 02:47 | Comment(0) | パキスタン事情 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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